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東京高等裁判所 昭和57年(う)1013号 判決

裁判所書記官

松尾憲治

本籍

茨城県鹿島郡鉾田町大字借宿一三七三番地

住居

東京都足立区谷中二丁目五番三号

グランヴイラ綾瀬七〇三号

会社役員

二重作眞

昭和五年一二月一八日生

本籍

東京都葛飾区お花茶屋二丁目四〇〇番地

住居

同 都足立区東和四丁目一九番一〇号

会社役員

二重作弘正

昭和一六年五月一六日生

右被告人両名に対する各所得税法違反被告事件について、昭和五七年四月二六日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らからそれぞれ控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官小林幹男出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

原判決中被告人らに関する部分を破棄する。

被告人両名をそれぞれ懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に処する。

被告人らにおいて、右罰金を完納することができないときは、それぞれ金一〇万円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用の三分の一ずつを被告人らの各負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山田鷹之助、同高木一及び同葛西宏安連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官宮本喜光名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用するが、所論は、要するに、原判決の被告人両名に対する量刑が重過ぎて不当であるというのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、共同で貸金業を営む一方、貸金業を目的とする株式会社一一社の実質的な経営者である被告人らが、原審相被告人二重作滿とともに各自の所得税を免れようと企て、(一)被告人二重作眞において、昭和五二年及び同五三年分の合計した実際総所得金額が一二億四七五九万八四八八円であったにもかかわらず、所轄税務署長に対し、その二年分の合計総所得金額が五億七四七九万七四五〇円で、これに対する所得税額が源泉徴収額を控除すると三億六一三九万一九〇〇円となる旨記載した内容虚偽の各確定申告書を提出して、その正規の所得税額六億八六七七万一六〇〇円と右申告税額との差額三億二五三七万九七〇〇円を免れ、(二)被告人二重作弘正において、昭和五二年分及び同五三年分の合計した実際総所得金額が一二億二八六二万二六二七円であったにもかかわらず、所轄税務署長に対し、その二年分の合計総所得金額が五億四八一四万〇〇二〇円で、これに対する所得税額が源泉徴収額を控除すると三億五三八五万九五〇〇円となる旨記載した内容虚偽の各確定申告書を提出して、その正規の所得税額六億七三二二万七九〇〇円と右申告税額との差額三億一九三六万八四〇〇円を免れたという事案であって、逋脱税額が巨額であるうえ、その逋脱率がそれぞれ全体として約四七パーセントにも達していること、被告人らが本件犯行に及んだのは、高利による貸金業を営み莫大な利益を挙げながら、なおも利益を追求すべく、できるだけ脱税を働き、それによって得た金員を前記事業に投じようとしたものであって、動機の点でも特に酌むべきものが認められないこと、本件犯行は、被告人らにおいて、関係各会社に出資をし、あるいは金員を貸し付けて、右各会社から配当金や利息の支払いを受けたほか、役員報酬の支払いも受けていたのにもかかわらず、その一部につき、親族その他の者が受領した如く仮装したうえ、同人らにその旨の確定申告をさせて、これらを被告人らの所得に計上せず、個人事業による所得についても、昭和五三年分の一部を申告したのみで、昭和五二年分については全く申告せず、このような不正の行為により脱税を図ったものであって、その手段方法が周到かつ巧妙であるうえ、計画的であること、被告人らは、本件につき東京国税局が査察に着手した後も、昭和五二年及び同五三年中に親族その他の名義で支払われた役員報酬が真実同人に支払われたものであって、それが被告人らに帰属しないことを正当化しようと考え、右名義人らに指示して金融機関に預金口座を開設させ、その口座にその後の役員報酬を振り込むなどして、従前から右名義人らに実際に役員報酬が支給されていたかの如く見せかけるための工作をし、さらに検察庁における取調べに備えて、同人らを集めてその対策を指示したばかりでなく、昭和五四年以降の所得税についても過少申告をするなど、著しく納税意識を欠いており、犯情極めて悪質であること、のみならず、被告人らは、本件について、その事情はともかく、一たん捜査段階で全面的に自供しておりながら、原審における審理が進むにつれて再び否認に転じ、十分反省しているとは認めがたかったことに徴すると、被告人らの刑事責任は相当重いといわざるを得ず、したがって、被告人らは、昭和五〇年分及び同五一年分については昭和五六年三月に、本件分については同年四月にそれぞれ修正申告をして、同年一二月までに加算税を含めた全ての税金を完納していること、被告人らには前科前歴がないこと、その他所論指摘の情状を考慮しても、被告人らをそれぞれ徴役一年六月及び罰金五〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、その当時においては相当であったといわなければならない。しかしながら、当審に至って、被告人らは、脱税した責任の重大さを自覚し、本件を全て認めて争わない態度に出たほか、これまで自己の利益を追求していたことを反省して、社会のためにも貢献しようと考え、日本赤十字社へ一億円の贖罪寄付をするなど、十分改悟しており、これら被告人らに有利な原判決後の諸事情を考慮した場合、刑の執行を猶予すべきものとまでは認められないが、徴役刑の刑期の点で原判決の量刑が重きに失し、これを破棄しなければ明らかに正義に反するものと認められる。

よって、刑訴法三九七条二項により原判決中被告人らに関する部分を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従いさらに次のとおり判決する。

原判決が認定した被告人二重作眞の原判示第一の一、二、同二重作弘正の原判示第三の一、二の各所為に、懲役刑と罰金刑との併科、併合罪の処理の点も含めて、原判決と同一の法令を適用し、その刑期及び金額の範囲内で、被告人両名をそれぞれ懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条によりそれぞれ金一〇万円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置し、原審における訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文に則りその三分の一を被告人らにそれぞれ負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 杉山英巳 裁判官 新田誠志)

○ 控訴趣意書

被告人 二重作眞

同 二重作弘正

右両名に対する各所得税法違反被告事件について被告人等の控訴の趣意は左記のとおりである。

昭和五七年九月三〇日

右被告人等の弁護人

弁護士 山田鷹之助

弁護士 高木一

弁護士 葛西宏安

東京高等裁判所 第一刑事部 御中

原判決は被告人両名に対し、適法な証拠に基き

「被告人二重作真、同二重作満、同二重作弘正は、東京都江戸川区西小岩一丁目二七番九号ジャストインビル三階ほか数か所に店舗を設け、「ニューニッケイ」等の名称を用い、共同で貸金業を営みまた、それぞれ同都足立区綾瀬三丁目二一番九号に本店を置き貸金業を目的とする日立企業株式会社(昭和五五年四月一一日以前は山一物産株式会社)ほか株式会社一〇社の代表取締役、取締役又は実質経差者であったものであるが、それぞれ自己の所得税を免れようと企て、右共同貸金業にかかる利息収入の一部を除外するとともに右各株式会社からの給与収入、同各株式会社に対する貸付金の利息収入等の一部を被告人らの親族等の他人名義で受領するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

第一、被告人二重作真は、

一、昭和五二年分の実際総所得金額が三億八四三〇万三〇七九円(別紙(一)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五三年三月一三日、東京都足立区千住旭町四番二一号所在の所轄足立税務署において、同税務署長に対し、同五二年分の総所得金額が一億七〇三六万八〇九〇円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額二三五九万九〇四〇円を控除すると八八〇一万八二〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(昭和五六年押第六六四号1)を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額二億〇七八三万四二〇〇円(別紙(六)税額計算書参照)と右申告税額との差額一億一九八一万六〇〇〇円を免れ

二、昭和五三年分の実際総所得金額が八億六三二九万五四〇九円(別紙(二)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五四年三月二日、前記足立税務署において、同税務署長に対し、同五三年分の総所得金額が四億〇四四二万九三六〇円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額一四八四万五四六四円を控除すると二億七三三七万三七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の2)を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額四億七八九三万七四〇〇円(別紙(六)税額計算書参照)と右申告税額との差額二億〇五五六万三七〇〇円を免れ

第三、被告人二重作弘正は、

一、昭和五二年分の実際総所得金額が三億七八三九万四三一六円(別紙(五)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五三年三月一三日、前記足立税務署において、同税務署長に対し、同五二年分の総所得金額が一億六一六七万一〇六〇円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額一七八一万九八四〇円を控除すると八七五五万三六〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の5)を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額二億〇三六八万四八〇〇円(別紙(八)税額計算書参照)と右申告税額との差額一億一六一三万一二〇〇円を免れ

二、昭和五三年分の実際総所得金額が八億五〇二二万八三一一円(別紙(五)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、昭和五四年三月二日、前記足立税務署において、同税務署長に対し、同五三年分の総所得金額が三億八六四六万八九六〇円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額八一九万二八二八円を控除すると二億六六三〇万五九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の6)を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額四億六九五四万三一〇〇円(別紙(八)税額計算書参照)と右申告税額との差額二億〇三二三万七二〇〇円を免れ

たものである。」

との事実を認め、相当法条を適用した上被告人両名を夫れ夫れ罰金五〇〇〇万円と共に徴役一年六月の実刑に処した。

そしてその量刑の事情として

「被告人ら三名は、兄弟であり、それぞれ貸金業をしていたが、これを三名共同で営むこととなり、昭和四四年ころ都内に山一物産(株)を設立したのを皮切りに、以後都内や近県の各所に店舗を増設し、半年ないし一年後には法人化して別会社とする方法により、次々と関係会社を設立して共同経営してきたもので、これらは山一グループ、現在は日立グループなどと呼称されており、その企業グループのなかで、被告人真は実質的社長、同満は実質的専務、同弘正は実質的副社長の地位にあったものである。本件は、被告人らが右のように法人成りする前の共同貸金業から得た収入並びに右の関係会社から受け取った役員報酬、貸付金利息及び配当金の各所得について、被告人真において二年分合計三億二千万円余り、同満において一年分約一億一千万円余り、同弘正において二年分合計約三億一千万円余りにのぼる巨額の所得税を脱税したという事案である。

これに用いた犯行の手段は、被告人らにおいて関係会社より受け取る自分たちの役員報酬、貸付金利及び配当金の各一部を親族等の他人名義で計上したり、確定申告をしていたほか、法人に引き継がなかった共同資金業にかかる所得については、ほとんど申告もしなかったというものである。こうした親族等の他人名義での申告は昭和四四年の山一物産(株)設立当時から続いていたものであってこのことは被告人らの納税意識の稀薄さを窺わせるものである。しかも昭和五二年分については、関係会社において被告人らの名義で計上していた分についてさえ、その全部を申告するに至っていないのであり、名義を借りた他人について、その年間所得が一〇〇〇万円を超える結果になったものについても、必ずしもそのすべてについて確定申告をしていないのである。翌五三年分については、国税局の査察着手後にもかかわらず敢えて犯行に及んだものであるうえ、犯行後も、親族等との間で役員報酬等が真実支払われていたように口裏合わせをし、査察着手後も役員報酬受給名義人に指示して銀行口座を開設させ、そこに役員報酬等を振込んで実際に役員報酬等が名義人に支払われたかのように仮装して罪証隠滅工作を行なっている。こうした事情を併せ考えると、その犯情は悪質であるというほかはない。

なお、弁護人は、本件は顧問税理士の指導と助言による申告納税が脱税となったものであるとして、一半の責任が税理士にあることを強調する。しかし、関係証拠を検討しても、本件申告に関与した税理士において、被告人らの脱税の意図を知りつつ積極的に脱税に協力したことを窺わせる事情は認められない。

このようにして、免れた税金は前示のとおり巨額であり申告率(源泉徴収分も含む)も約四四パーセント(真)、約四〇パーセント(満)、約四三パーセント(弘正)と芳しいものとはいえない。犯行の動機についても、被告人ら三名は、法人分散により軽減税率の適用をはかって節税対策を講じていたのであり、このこの自体をとがめるものでないとしても、さらに税負担を少なくしてその分を事業資金に回し利益を増やしたかったために脱税に及んだというのであって、特に斟酌すべき事情があったとは認められない。」と認定した上進んで、

「以上の諸事情に鑑みると、被告人らにおいて犯行後修正申告をし、本税及びこれに連動する諸税を完納していること、犯行の手段となったものではあるが、他人名義でかなりの所得を申告・納税していたこと、被告人満に業務上過失傷害及び傷害の前科がある以外には前科等のないことなど被告人らに有利な事情を最大限に考慮に入れても、被告人真及び同弘正に対しては、主文程度の実刑は止むを得ないといわざるを得ない。」

と判示している。

弁護人等は右事実認定及び法律適用のいずれをも争うものではない。そしてまた、原判決が量刑の事情として認定せられた事柄も、原審の証拠、及び審理の経過に照し己むを得ないところではあるけれども、真実は、被告人等は後に詳述するように、本件事案が摘発されて以来検察の取り調べ、原審の公判を通じて自己の行為が不正な行為であることを十分に認識し、罪の意識に苦しんでいたのであるが、たまたま原審において依頼した弁護人より、或は本件被告人等の行為が罪にならないかのような示唆を受けたのを好機とし、欲にかられて原判決が認定せられたような行為に出たものであって、その行為の責められるべきことは当然ではあるけれども、後に詳述する諸種の事情をご考慮願えれば、被告人等はあながちに極悪無道絶対に許すことのできない様な人格ではなく、単に教養のない、利欲によって動くありふれた人間の持つ欠陥を赤裸々に露呈している人格であることをご諒解願えると思う。被告人両名は事件発覚以来罪を意識し、二度と斯様な問題を起すまいと決心していたにもかかわらず、原審弁護人の示唆と自己の欲とのため、原審において罪を回避するような行為に出て原判決に於てその行為を強く指弾されて実刑の云渡を受けるに至った。ここに至って被告人は改めて深く自己の行為を反省自戒し二度と斯様な行為を行なわないことを固く心に誓っており全く再犯の虞のない者等であるがその自悔の心を具体的に表すために、後述のとおり各関係会社の経理組織を改め、不正のできないようにするとともに合計金一億円を赤十字に寄附することとした。以上各種の事情と原審が挙示した被告人等に有利な各事情とを併せ考えるならば現時点においては、被告人等に対しては刑の執行を猶予するのが相当であり、これに実刑を科した原判決の刑の量定は不当と謂うべきであるから、刑事訴訟法第三八一条及び第三八二条二により控訴の申立をする次第である。

以下その詳細を述べる。

第一、原審において本件所得税法違反事件における被告人等の脱税の事実の自覚と弁護人被告人等の公判活動とが相反していたことについて。

被告人等は本件脱税の事実については検察官の取調の頃以降十分これを自覚し、又自己の非を反省しており原審公判においても公訴事実を全て認め深く反省していることを現わすべく意図していたのであるが実際に行なわれた弁護人、被告人等の公判活動が右被告人等の意図と相反する形で進められたことについて以下説明する。

一、原審公判開始後検察官の証拠調の終了までは弁護人、被告人は公訴事実を認め、検察官申請の全ての書証等の取調べに同意等し証拠調を済ましていることについて。

第一回公判の罪状認否において先ず被告人、弁護人は公訴事実について脱税の事実を認め、単に細かい数額の点のみを未だ明らかでないとのべている。

次に検察官の証拠申請の甲第一号証乃至第八一号証については全ての書証について取調べの同意をし証拠物の取調べに異論のない旨述べている。

そして右検察官申請の書証は甲第一号証乃至第四五号証が査察官が証拠物に基づいて計算し作成した調査書類であって、査察官の計算結果を示すものであり甲第四七号証(四六号証は登記簿謄本)乃至七五号証は、脱税の手段として被告人等に名義を使用されたいわゆる受給名義人である被告人の妻、親戚の者の被告人等に名義を貸したのみで金銭は受取っていない旨の真実を供述した検察官調書である。(甲第七六乃至第八一号証は被告人等の確定申告書)

従ってこれらの書証の取調べに同意することは、査察官、検察官の本件ほ脱所得計算の方法と結果について全てを肯定し認めたことである。

次に第三回公判において検察官が甲第八二、八三号証の二通の査察官作成の収入利息の調査書を証拠申請し、弁護人が直ちにこれについて同意し、第四回公判において検察官から被告人等の検察官調書及び身上関係の書類乙第一号証乃至第四〇号証が申請され弁護人が直ちに同意している。

右被告人等の検察官調書は全て本件犯罪事実を認めている完全自白の調書であるからこれの取調べに同意することは自からの脱税行為を完全に認めることである。

これら甲号証乙号証は第七回公判までに全て決定取調済となっている。

以上のごとく罪状認否において公訴事実を認め、検察官申請の証拠の取調べに同意しこれの取調べを終了したことは、被告人等が公訴事実記載の犯罪事実を全て認め争う意思のないことを明確に示している。通常の手続としては、その後は、被告人側の情状立証となる筈である。

二、弁護人、被告人が公判の中途においてそれまでの公判の経過と証拠調の結果に反する主張、立証を始めたこについて。

しかるに検察官申請の証拠調終了の後第七回公判において弁護人は、被告人等の妻(一審確定の被告人満妻幸江を含む)三名と被告人等の経営する会社の幹部であり且つ親戚にあたる栃沢勇之助と明石博を証人として申請したがこれらの証人は第一〇回公判までの各証人尋問においてそれまでの前記のごとき公判の経過と証拠調の結果に反して突如として犯罪事実を否定すす証言を行なっている。

そして被告人等は第一〇回乃至第一五回公判の被告人質問においてこれ亦それまでの公判の経過と証拠調の結果に反し本件犯行を否認する供述を行なっている。

又弁護人は第一三回公判において弁第一号証乃至第一七号証の主として弁護人計算の所得計算書類を証拠として提出した。

右計算書によれば検察官の所得計算書の結果とは全く異なり被告人等に所得のほ脱はなくむしろ申告額より少ない所得額となる結果となることになった。右のごとく被告人側が公訴事実を訴う姿勢を示したため検察官は更に補強証拠として第九回公判乃至第一七回公判において甲第八四号乃至第一二〇号証の各書証等を申請した。

これに対して弁護人は全て取調べに同意或いは異議がないと意見をのべ取調べ済となっているが右甲第八四号証乃至第九三号証は被告人等の経営する会社の依頼により本件申告書を作成した税理士三名の検察官調書であって、被告人等が自主的に提供した資料によって計算し申告書を作成した旨を供述しており、弁護人が最終弁論において主張した同税理士らの作為により虚偽申告したものであるという事実とは相容れないものである。これらの書証に同意しているのである。

以上の経緯を考慮すると弁護人の公判遂行方針には全く一貫性を欠き、その意図がいかなるところにあるのか理解に苦しむところである。

三、被告人等は元来公訴事実を争う意思はなかったことについて。

1. 被告人等が検察官に対し、本件公訴事実を全て自白し、又役員報酬等の受給名義人に対しても検察官に全て真実を供述するよう要請していること。又公判において右検察官調書の取調べに全部同意していること。

一方被告人等は本件犯罪事実について検察官の取調べの行なわれた昭和五五年八月から一二月までの間検察官に対し脱税の事実を全て認めて自白調書が作成され、又本件脱税の手段として名義を使われた前記の者達も、右調書に明らかなごとく、被告人等から検察官に対しては真実を話すよう要請され(栃沢勇之助昭和五五年九月九日検察官調書一四〇五丁以下各検察官調書園部隆久九一三丁、佐藤正夫九四五丁、植本一見九八五丁、長峰文男一〇六四丁、亀山良恵一二三六丁、桜山紀代美一二六六丁、桜山京子一二九八丁、明石悟一、三四一丁等)名義を被告人等に頼まれて貸したが金銭は受取っていない旨の供述をしている。

2. 被告人等は昭和五六年四月三〇日国税局査察の結果にもとづきこれと同額の即ち公訴事実と同額の修正申告を行ない行政処分としての課税について自から不服申立の手段を放棄してこれを確定させていること。

一方被告人等は昭和五六年四月三〇日本件対象年度である昭和五二年五三年分の所得税については本件査察の結果のとおり即ち本件公訴事実記載のとおりの所得税額の修正申告をし、納税しており行政処分上の課税の問題としても不服申立の手段を自から放棄しており(国税通則法第七五条一項一号)査察官の計算即ち公訴事実記載のとおり本件の課税額を確定させているのである。

このような諸事実から考えても被告人等には本件査察の結果を納得し且深く反省し公訴事実を争う意思は元々存在していなかったことが認められるのである。

三、被告人等が真剣に本件公訴事実を争い、ほ脱所得はなかったとの主張立証をしたとは思われないことについて。

ここで、原審における第八回公判以降の公訴事実を争った証人尋問等の内容を詳細に検討してみると、先ず被告人等(原審当時三名)の各妻の証言は、同意書面として取調べ済の同人等の各検察官調書の記載に反し、一応同人等は被告人等の経営する会社から役員報酬等を受け取り、これを右会社に貸付けたと供述するものの、金銭の受取りと貸付に関しては、抽象的に受取った、預けたと供述するのみであり、その他云い逃れのための弁解をするかのごとくであるが結論としては、検察官調書の真実性を認めている。

第八回公判において同人等は「検事さんに述べていることは間違いではありませんか」との弁護人の質問に対し「間違いないと思います……」(二重作幸江証言一六丁)「結局役員報酬を貰っていないと云うことを云ったと思います」との二重作八重の答えに対し検察官が「私がその時に云ったのは正直に云うようにと云われて来たのではないかという意味のことではなかったですか」と聞いたところ「そうだったと思います」と答(四四、四五丁)結論として検察官調書の真実性を肯定している。又右の他犯罪事実の重要な部分の証拠である、役員報酬等のために名義のみを借りた二重作京子以下一七名(栃沢勇之助、明石博を除く)については検察官調書を同意し取調済のままこれについての反対立証は全く行なっていない。右各調書には被告人等に頼まれ名義を貸したものの役員報酬等は受取っていない旨記載されている。

又弁護人被告人は、検察官の所得計算の根拠となる査察官作成の詳細な調査書類を前述のごとく全て同意取調済としておきながら、被告人側の計算としては比較的簡単な計算書類を提出したのみであり、これに対し検察官の意見として取調べに同意するものの但し信用性を争うとされながら、右計算書類の信用性についての立証をせず単に被告人質問の際、被告人側の計算の結果であると云わせるにとどまっている。

又被告人質問においても弁護人、被告人は、主として営業の開始から現在に至るまでの営業上の経緯、社員貸の貸倒れ他、貸倒れの問題、二重作満(原審における被告人の一人)の分離の経緯等を述べるのみで本件公訴事実を争う場合争点となる役員報酬貸付利息配当等については比較的簡単な供述で終わっている。

このような弁護人の行なった証拠調の経緯からみて被告人が真剣に公訴事実を争い、ほ脱所得は存在しないとの主張立証を行なったとは到底考えられないのである。

三、被告人等の真意は元来公訴事実を率直に認め脱税行為を深く反省していることを公判においても示すことにあったことについて。

原審記録を詳細に検討した結果以上のことは客観的に看取されるところであると思うが、被告人の意思自体、真実は、公訴事実を全て認めるところにあったのである。

このことは被告人が再々にわたり、当審弁護人に訴えるところである。

被告人等は勿論、通常の社会人として或いは営業については並以上の人間として働らいているものであるから、自からの脱税行為については当然認識しており反省している。

反省している証左として課税の問題としては自から昭和五二、五三年分について国税局の査察の結果に従ってこれと同額の修正申告をして査察調査の結果である脱税額を素直に認めてこれを確定させ又、原審の審理の前半においては関係者全員が正直に供述した検察官調書他の証拠書類の取調べに同意してこれを済ませている。

被告人等は以上のごとく反省したうえで原審においても公訴事実を素直に認めて、審理を終結させ判決を謙虚に受ける心境であった。

ところが第七回公判において検察官提出の証拠調の終了した後から前記のごとき被告人の真意とは相反する公判活動がなされるようになった。

被告人等としては弁護人を自から選任したものであり責任を他に転嫁する所在はなく公判活動の最終的な責任は被告人自からが負うべきことは十分承知しているが、問題は本件のごとき所得税法違反事件は専門的且複雑であり、被告人等にとって公判活動の技術的なことは全く理解出来ないことであり弁護人の指導に従うより他なかったものであります。

又被告人等の理解を超えた事柄が多く専門家としての弁護人との協議とその指導によって被告人の考えが動揺することは当然考えられるところである。

被告人は第八回公判以降の弁護人との打合わせに際し、それまでの捜査公判を通じての脱税の自認とこれに対応する諸般の処理を行なってきたことと、第八回以降の公判活動との矛盾に対し、素人ながら素朴な疑問を感ずるまま意見を具申したところ、一喝のもとに退けられた。

しかしながら弁護人には被告人等の考え及ばぬ専門的考慮があるのかと被告人等は考えそのままその方針に従うこととしたのである。

この点については、被告人等自身も、専門家たる弁護人の指示に従えば或は無罪となり得て一部税金の返還さえも得られるかも知れないとの欲望があったためこれに従ったものであることも否定し難く、責任を原審弁護人のみに転嫁することのできないものであり、現在においては深くこれを悔い当審弁護人にもその意を披瀝しているのである。

以上のような調査捜査段階から公判までの経緯があるのにもかかわらず原審において被告人等が全く反省の色がないと認定されたことは、被告人等にとって前記公判活動が救いようのない不測の災いを招来したとしか云いようがないのである。

第二、原審が悪い情状として指摘した昭和四四年頃からの累進税率をまぬがれるための役員報酬等の名義上の分散並びに昭和五二年分の被告人等名義の役員報酬等の無申告分の存在と昭和五四年一月二三日本件査察調査開始後の罪証隠滅工作について。

被告人等が昭和四四年山一物産株式会社設立の頃から役員報酬等の支払名義の分散を行ない被告人等の各所得税の累進税率による税の軽減をはかったことは法の厳しさを軽視し徴税の実情を甘く見過ぎた弁解の余地のない行為である。

しかしながら昭和五四年一月二三日の査察調査開始後の罪証隠滅工作といわれるものについてはあながち、被告人等のみを責むべきものでなく憫諒すべき実情が存在する。

すなわち、右調査は被告人等の自宅会社事務所、取引先銀行関与先税務事務所等数ケ所に及ぶ家宅捜索証拠物の押収という事態から始まったがその時の被告人等の畏怖は想像するに難くなく溺れる者は藁をも握む心情にあったのである。

そこで被告人等は直ちに相談し又急のことであるので関与税理士等に脱税の全貌を打明ける心境に至らないまま同人等と善後策を協議した。

そこで税理士らは、一般論として徴税の実情から自己の妻、他親族の者の役員報酬等については支払われている形が存在すれば税務当局から認容される場合があるとの意見を出したため被告人等は自己等の場合も妻及び親族の者に役員報酬を支給しているとの形式が整えば認容されると軽率に考えた。

そして、そのような形式の整っていないそれ以前は認められないとしても形式を整えた時期以降は認容されるであろうと考え、昭和五四年二月上旬頃名義を借りている者のうち東京在住者を中央総業株式会社に集めるなどして税務調査の場合は役員報酬を受取っている旨述べること又役員報酬等支給の形を作るためその後銀行口座を開設することを依頼し、以後右口座に役員報酬等を振込むことを述べ、銀行振込を行なったが、その後前記意図は悪いことと反省して検察官の取調べの開始前の昭和五五年四月から八月頃の間にこれを取りやめている。

以上の事実は関係証拠(被告人真の検察官調書二〇三二丁、栃沢勇之助検察官調書一三九一丁等)によって明らかであるが右の行為について被告人等の立場として情状を御考慮願いたいのは、先ず右会合と指示の時期についてであるが、右時期は査察官による調査開始の後僅か一〇日乃至一五日位後のことであって被告人等は査察調査の内容も十分理解しないまま、軽率に前記のごとき関与税理士の一般論についての意見を素人なりに恣意に解釈し、各名義人の銀行口座の開設とそこへの振込みについて名義人が調査を受けた際役員報酬等を受取っている旨返答してもらいたいと依頼したのである。

しかし右工作は過去にさかのぼって仮装工作をするというのではなく証拠上明らかなように調査開始以後即ち昭和五四年二月以後銀行口座を作りこれに役員報酬を振込んだものであって、その行為の時期並びに内容は明白であり、原審が、「そこに役員報酬等を振込んで実際に役員報酬等が名義人に支払われたかのように仮装して罪証隠滅工作を行なっている」と指摘した事実はその時期を考えると、右仮装工作は昭和五四年二月頃以降であるからこれによって本件の対象期である昭和五二年五三年分について、右役員報酬等を支払ったかのごとく仮装したものではなくむしろ、昭和五四年分以降の問題であると思われるのである。

又、右工作前後と思われる三月一五日昭和五三年度の所得税の確定申告の時期に、それまで申告をしなかった名義を借りた者の分まで役員報酬等を受取ったこととして確定申告をしたことはこれまた形式が整えば徴税の実情では報酬支払の事実が認められるかもしれないとの安易な考えにもとづくものであって被告人等はここにも同じ誤ちを重ねていたものという外はない。

しかし重要なことは右のごとき仮装工作はあったが、その後調査が進み検察官の捜査が開始される前には被告人等は、自からの脱税行為の非と重大さを理解し又前記のごとき仮装工作を行なったこと並びに名義人に対し取調べに際しては虚偽の返答をしてもらいたいと依頼したことの誤まりを悟り反省したことである。

そして前記第一、三、1において述べたごとく被告人等は名義を借りた者達全員に対して改めて検察官の取調べに対しては包みかくさず真実を述べ役員報酬等の受取、会社への貸付は存在しない旨の供述をしてくれるように又自分の責任だから本当のことを云ってくれ等と要請した。

又、昭和五五年九月一二日付被告人真の妻八重の検察官調書一五七九丁では、被告人真は、本件調査開始後一時は役員報酬等を名義人に支払ったこととすることを考えて「……要するに脱税をしていないと主張するつもりだったようでした。しかし、最近は主人は自分達がやって来たことは悪いことで責任をとらなければならないという話をするようになっています」と述べてあり、被告人等が一時期の迷いを脱し、その非を悟り、真実を明らかにしたことが認められるのである。

被告人の各検察官調書は自己の脱税の事実を詳細に供述し明確に自己の非を認め反省していることを示している。

以上のごとく、被告人等は一時期は原審指摘のごとき、「親族等との間での口裏合わせ」をし銀行口座の開設と右口座への役員報酬の払込等の罪証隠滅工作を行なったが、検察官の捜査開始前にはその非を悟り、口裏合せや口座開設等の罪証隠滅工作を全て自ら取消し、検察官に率直に事実を認め、供述調書が作成されている。

従って原審が「量刑の事情」として特に指摘した前記事実は、検察官の捜査前において既に被告人等自からこれを取消し悔い改めた事実なのである。

第三、昭和五三年度分の申告は被告人等が故ら査察を無視したり証拠隠滅をはかったものでなかったことについて。

原審は「昭和五三年分については、国税局の査察着手後にもかかわらず敢て犯行に及んだものであるうえ犯行後も親族等との間で役員報酬等が真実支払われていたように口裏合わせをし、査察着手後も役員報酬受給名義人に指示して銀行口座を開設させ……」と検察官の論告の文言と同様の指摘をし、昭和五三年分については査察着手後に行なわれた犯行であり悪質であると云う。

そこで先ず査察着手後にもかかわらず敢て犯行に及んだものとの点について詳細に検討すると本件の査察着手は昭和五四年一月二三日の家宅捜索であるから当時昭和五三年は既に終わっており同年分の役員報酬等の名義人への支払の形は既に昭和五三年の毎月分として関係会社の帳簿上記録されていたものであり同年中に被告人等は既にこれらを受取っていたものである。

そこで脱税犯は不正な申告をすることによって成立するのであるから昭和五三年中に既に前記のごとき行為が行なわれていたとしても右査察着手の後に来た昭和五三年分の申告期(昭和五四年二月一六日から三月一五日まで)に前記のごとく既に出来ている親族等への役員報酬等の支払の形式を訂正し被告人等がこれらを受取ったとの真実の申告を行なえば所得税のほ脱犯とはならなかったのである。

ところが、右査察着手が一月二三日で、申告期が二月一六日から三月一五日までと極めて接近していたため被告人等は、本件の問題点を真実理解出来ないまま昭和五三年中に出来ていた前記形を訂正することなく、そのまま役員報酬等は親族等に支払われているとの姑息な申告を行なってしまったのである。

しかしながらこの申告期において被告人等が本件の問題点を整理、理解出来て昭和五三年中の毎月分として既に出来ていた関係会社の役員報酬の支払の帳簿等の記録を直ちに訂正したうえ、これらを被告人等が受取ったとの正確な申告をすることは、査察を受け動転している被告人等にとっては容易なことではなかった。

又被告人等としては、査察を受けたからといってにわかに従来と異なる申告をして良いものか悪いものかの判断も、つき難くしかも帳簿、伝帳類は一切国税局に押収されているため、申告に際してはそのうちの一部分の資料のコピーを国税局から交付されてこれに基づいて機械的に作業をした税理士により申告書を作成せしめ一応、前年以前と同様の申告を行なったのである。

この点について被告人真の検察官調書二一四五丁には被告人真の供述として「国税局の調査を受けながらなおもそのような嘘の申告をした理由はもちろんそういう申告が正しいと思っていたわけではありませんがそれまで何年もの間親族などの名義で計上する方法をとってきたものについて急にそれが私達三人のものだというわけにはいかなかったことと……」と述べられている。(他に被告人弘正検察官調書二六一八丁)

このようにして、被告人等は昭和五三年の申告を行なったのであるが、被告人等が昭和五三年中に毎月記録されていた帳簿記録そのままに申告したことが所得のほ脱となったのであって、査察着手後に脱税となる工作を行なったものではなく原審判決の如く悪性の徴表と見ることは酷に失する。

そして、右申告の後査察及び検察官の捜査が進行し被告人等にも本件の問題点が理解された後昭和五六年四月三〇日即ち本件の起訴後ではあるが前記第八回公判より半年前に被告人等は昭和五二年、五三年分について最終的に査察調査の結果によってそれと同額の修正申告をし自己の非を改めているのである。

原審指摘の「査察着手後に敢て犯行に及んだ」とは以上のごとき事実なのであり、査察着手後の申告によって確かに犯罪は成立したが、その後本件公判開始後間もなく右のように査察の結果による同額の修正申告がなされ被告人等が反省していたのであるから、この点も考慮され、特に昭和五三年分については情状を酌量されたいと考えるのである。そして、原審判決は「犯行後も親族等との間で役員報酬等が真実支払われていたように口裏合わせをし、銀行口座を開設させそこに役員報酬等を振込んで実際に役員報酬等が受給名義人に支払われたかのように仮装し」と指摘するがその「口裏合わせ」「銀行口座の開設」「役員報酬等の振込」等による罪証隠滅工作とは前記第二で述べたごとく昭和五二年五三年にさかのぼった形を作ったのではなく本件対象期後の昭和五四年二月以降のこととして税理士の不適切な示唆に従ったのであり対象期についての直接の罪証隠滅工作には当らずこれをもって特に被告人の悪性の徴表と見るのは酷に失するところである。

以上のごとく原審判決が悪い情状と指摘する諸事実も細かく検討すれば決して被告人等が査察開始の後に敢て罪証隠滅工作を行なったものではなく被告人等が査察によって気が動てんしている状況で姑息な応急対策を施し、その方策も一貫せず自からを誤まる結果を招来したものであるが、これらの姑息な対策は前記第一、第二記載のごとく検察官の取調の前から本件公判開始後間もなくに至る間に全て改められているのである。

裁判所におかれては是非以上の点を御考慮下さるよう願うものである。

第四、被告人両名の経営する会社の営業並びに経理等全組織のコンピューター化による正確性と公開性並びに監査役の強化による再犯防止手段について。

被告人両名は現在自らが経営する会社一一社四五店舗について(本件当時のごとく会社設立前の試験的な個人的共同の営業は現在は行なっていない)貸付、回収、利息収入、支払利息経費の支出、貸倒等営業の上の記録処理及び役員報酬、社員給与、その他一切の経理上の処理を一括して大型コンピューターオリベッティ型を導入し、高度に組織化して行なっており、右コンピューターの記録は各店舗から直接コンピューターに打込んでいて経営者である被告人両名と云えども、全く手を加える余地はなく、正確に、ありのままが記録され、又右記録は、機械操作の担当者には勿論関与税理士にも直ちに送付され、その他必要に応じ、社員にも全て公開されている。

従って本件当時のごとく、被告人等が恣意に記録を操作し金銭を処理することは経理組織上出来なくなっている。

勿論コンピューターの組織は組織としてコンピューターに記録する資料そのものを改ざんしたり、これを操作する場合に不正に操作し得なくはないが、被告人両名の経営する会社のごとく、営業店舗が現在合計四五店あり従来からも社員と借り主との結託による不正に悩まされている状況では、仮りに被告人等がコンピューターに記録する資料を改ざんしたり操作を不正に行なったりすれば、脱税の目的を達するより先に会社の経理そのものが混乱し営業自体の遂行が不可能となる。

又、コンピューター組織化による脱税その他経理上の不正の防止のみならず被告人両名自身、脱税行為を絶対に再度行なわないよう努力し細かい点にまで個人的判断を排し、全て機械的な公正な処理を指示し実行している。

又従来の関与税理士三名の他に、経理監査を厳しく行なうため被告人両名の経営する中枢の会社である中央総業株式会社と日立企業株式会社(土浦、松戸)に、国税局の出身者藤ケ谷金治氏を迎えて、監査役とし、コンピューターによる組織化と相まって、会社経理の正確性と公開性を企図し、実行しているのである。

第五、被告人等が多数の株式会社を設立し、本店所在地を分散した理由について。

被告人等が一一の会社を設立した理由は、原審判決指摘のごとく法人税の税率(法人税法第六六条一、二項)による納税額を低くする原審の指摘する節税の意図が皆無であったとは云えないが法人税上の税率(原審判決によれば軽減税率)は問題とするに足りず(法人税法第六六条)これを目的として多数会社を設立し、納税額を軽減することは一般的に行なわれていないことである。

又、被告人等としても、被告人等の経営する会社は仮りに一社にまとめても資本金は一億円以下であり、同法第六六条二項所定の所得額七百万以下の部分の軽減税率は適用されるのであり、又被告人の経営する会社全社の所得金額五一六一万三〇〇〇円(弁第二六号証)と比較しても、右七百万円以下の分の軽減税率の適用分を多くすることを企画して多数の会社を分散設立することは、むしろ、経理上の繁雑さによる欠陥が多いこととなり、被告人等が右軽減税率の適用を意図したことは考えられない。

被告人等が会社を分散設立したのは、主として納税時期の分散化を企図したためである。若し、単一の会社であるならば、納税時期も単一であり、中間申告納税、確定申告納税と分けるとしても、多額の税金が(昭和五三年度合計金一六二四万八五四〇円)一時に社外流出することとなり、貸金業者である会社の資金繰に直ちに支障を来たすおそれがあったからである。

このために、多数の会社を分散設立し、決算期申告時期を異ならせ、順次納税することによって手持資金の平準化を企図したものである。

第六、被告人が、狭い視野の自己中心主義から、原審判決によるショック等のため、広く社会的視野と反省を持ちうるに至ったことについて。

被告人等はその経歴が示すごとく、茨城県の田舎に生まれ義務教育を終了すると、直ちに生活のために農業或いは成長して後タクシー運転手等を行なって働いてきたものである。

又、被告人等の父吉雄が農業のかたわら少額の貸金業を営んでいたことから自然に片手間に貸金業を行なうようになりその後兄弟三人合わせて貸金業を専業として行なうようになった。

被告人等はこのように未成年の時代から生活のために働くことのみを考え金を儲けることを至上目的としてきた。このような状態であるから被告人等は金銭的に余裕の出来た後にも一切の遊興などせず現在に至っており、一見してわかるように素朴な人柄を未だに持っているが、一方視野が非常に狭いことも争えない事実である。このために辛苦の結果、所得も増加し営業が次第に大規模となり、従業員や顧客も増加し社会的な影響が次第に大きくなったにもかかわらず、未成年時代からの生育環境による、働き金儲けをすることのみを至上とする意識は抜き難く、旧態依然として田舎の小規模な貸金業者のごとき感覚で営業し、納税についても右同様の意識しか持ち得なかった。被告人等は急速に営業が拡大したため、広く社会的な活動を行ない営業し、所得を得ている者は当然の社会的負担として規定の納税をすべきであるとの認識を持てないまま、姑息な手段をもって所得を隠蔽し、得たと錯覚し、本件の脱税行為を行なったものである。

被告人の以上のごとき生育環境からきた視野の狭少さと、納税意識の低さを責めるに急であってはならないと考える。

現在、被告人両名は原審の実刑判決により法の厳しさに慴伏するとともに、自己の非に臍をかみ数か月間深く考えるところがあった。

被告人両名は学校を卒業してから現在に至るまでのただただ働き金を儲けようとの自己の意識と行動が、他人から見れば、現在の自己の社会的立場を自覚しない自己中心的な強引なものであったであろうと自覚するに至った。

今回の原審実刑判決は被告人両名に対し、曽って経験しなかった大いなる頂門の一針として打込まれ、その生活態度、納税意識がもはや社会的に通用しないことを痛烈に教示した。そして被告人に納税という社会的ルールの厳しさと自己と社会との連帯の意識を豁然として目覚めさせたのである。

被告人両名は、自分達が営業活動をなし得、不平穏な生活を営めるのも、国家の保護と社会的連帯、協調が存在するが故にであり、自分達が多額の所得を得られたのも、その社会的連帯の中においてであり従って所得の多いものは応分の規定の納税をすることが当然であるとの自覚を得るに至った。

そこで被告人両名は納付すべき税金については所得税その他諸税は原審以前から納付しているがここで前記自覚を形に現わし自らの社会的連帯感と相互扶助の心を現わすため、今回昭和五七年八月一三日日本赤十字社に対し両名合わせて金一億円の寄付を行なったものである(弁第二五号証)。

実刑判決がその契機となったとは云え、金儲けを至上目的とした被告人両名が公共的な目的をもって寄附を行なうとはまことに刮目すべきことである。

裁判所におかれては、どうか被告人両名の右の自覚と社会的に有意義な行為を考慮して下さるよう希望するものである。

第七、本件を契機とする、被告人の経営する会社役員の選任、報酬の支払等の改善と、現在の納税状況等

最後に、被告人両名は現在経営する会社の役員については別紙一覧表(一)のごとく名義のみの者を斥け、自らを代表取締役とし、実質的に役員として稼動する者を役員とし、役員報酬等については働きに応じた支払をすることとし、実際的に全て支給している。又、右のごとき役員報酬の支払等は被告人等が公訴事実を争ったこととなった第八回公判(昭和五六年一一月五日)の前の昭和五五年六月頃から既に実行しているところであるが、(この点からも被告人が役員報酬等について真実争っているのではないことが理解される)原審においては明確となっていないため、改めて陳述する次第である。

被告人両名は本件査察を契機とし、以上のごとく、経理の正確性と公開性を担保したことが、期せずして経営上も非常に有益となり、業績も向上した結果、現在では、別紙一覧表(二)のとおり被告人両名の経営する会社の納税額合計金一九億六一六二万円、被告人両名納税額合計四億七一五一万円となった(弁第二七号証)。

右のごとく被告人両名はその営業に努力し正確な納税をし、多額の納税により国家財政に些少ながら寄与している。

第八、結語

以上縷々述べて来たとおり、被告人等は本件捜査の当時において、すでに自己の本件脱税行為が正しくないことを知り、捜査官に対しても、ありのままの事実を述べて来たのであるが、公判に至り、依頼弁護人の誤導もあって、万一の僥倖を期待して、原審におけるような態度に出たのであって、この点を強く考えるならば、被告人に改心の意思なしとした原判決の判断は必しも無理ではないかも知れない。然し被告人等が現在においては、本件起訴行為につき、心から反省自戒し、二度と斯様な行為をなさないことを誓い、これを具体的行為に表そうとしていることは、上来縷々述べて来たとおりである。

悪をなした場合にこれを改めるのは、早ければ早い程良いことは申すまでもない。然し多少遅れても本当に改めるならば、それはそれとして十分評価してやるのが当然ではなかろうか。本件においても被告人等が本当に改心し、再犯の虞のないことは、上来述べて来たとおりであるから、それは量刑の事情として十分に斟酌されて然るべきものと思考する。

およそ、刑罰の持つ目的機能として、一般予防、特別予防が挙られるが、本件において、事件発覚後、各新聞、等による事件の報道、次いで起訴、更に進んで原審における実刑判決の言渡によってすでに十分に一般予防の目的は果されたものと言ってよい。

また、原審の実刑判決の言渡によって、本被告人等は、悪いことをした場合には、素直にその事実を認めるべきであって、決して詭弁やへ理屈などでごまかすことはできないものであること、更に利益を得ようとして敢て罪を犯したが、脱税によっては利益は得られないどころか却って大損に終るものであることを身に泌みて知ることができ、二度と斯様な行為を犯すまいと決心するに至ったのであるから、特別予防の目的もすでに十分に果されたものである。

刑罰は本来厳格なものであるべきであろう。然し、刑罰の適用に当っては厳格であるばかりでは刑罰の持つ本来の目的を適確に実現することはできない。刑罰の適用は厳格な中にも常に慈悲の心を内包したものでなければならない。刑法自体が執行猶予制度を認めているのも、このことを示している。その上残念なことではあるけれども、現在の実刑の執行の現実は、その目的とする教育の実績を十分に挙げていないこと、また一旦実刑の執行を受けた受刑者の社会に復帰することが実に困難である我国の現実に目を向けた場合には、被告人等にして助ける余地があるならば、一度は助けてやってよいのではあるまいか。

本件において、上来詳しく述べて来た各事情と、被告人等に前科のないこと等原判が酌むべき量刑の事情として認める各事実並びに実刑を受けた場合における被告人両名及び二八〇名に及ぶ会社従業員に与える精神的物質的打撃を併せ考えれば、現在においては、被告人等に対しては刑の執行を猶予し、社会に在って自粛自戒させ、自らの力により贖罪と更生に努力させることこそ、刑政の本義に添うものと考えられるから、被告人等に実刑の判決を言渡した第一審判決はその量定が不当であり、破棄せらるべきものと信ずる。

以上

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